「時間の切り売り」意識の社員は窮する

  • 先日、ある知人から聞いた話です。
    知人の会社では、休日に新卒社員に対してITスキル研修を実施していました。参加は任意とされ、受講時間は労働時間としては扱っていません。この研修では高度な内容を取り扱っているため、キャッチアップするのは大変ですが、修了すれば一般の新卒レベルを遥かに凌ぐITスキルを獲得でき、自身の生産性を大きく向上させることができます。
    しかし、先日退職した新卒社員が労基署へ駆け込み、「研修は事実上の強制であった」として、受講時間分の賃金の支払いを求めてきたということでした。
  • 「研修や自己研鑽の労働時間性」という労務のテーマも関わる話ですが、私が気にしたのはそこではなく、「自身の生産性・付加価値を顧みず、時間の切り売りに対して権利主張する組織としての危うさ」です。
  • 昔と比べると今は労働者の権利に関する情報が溢れており、労働者の権利意識が高まっています。そして、「労働時間に応じて賃金を支払う」というのが今なお労基法の原則ですので、時間の切り売りに対する権利主張は正当と言えます。
  • 他方で、労働者の責任も今後大きく変化していくものと思われます。働き方改革が進めば、生産性や付加価値によって処遇が決定される時代がやってきます。労働者の責任は「時間の切り売り」ではなく、「生産性・付加価値への貢献」へとシフトしていくでしょう。そこでは、組織として「生産性・付加価値の低い者には低い処遇」という対応がドラスティックに行われるものと考えられます。
  • ところが、今はまだ過渡期であるため、生産性・付加価値に対する労働者側の責任意識が十分浸透していません。ともすると、自身の生産性・付加価値を顧みずに、時間の切り売りに対して権利主張をすることに意識が行きがちです。
  • 皆さんの会社でも、「生産性・付加価値」ではなく「時間の切り売り」に対する意識が強い年齢層・等級・職種等がないでしょうか?
    こうした社員が将来自身の評価が下がり、苦境に陥らないよう、今から「生産性・付加価値への貢献」に目を向けさるための施策を講じておくべきでしょう。その上では、等級定義や評価基準に生産性・付加価値を明記するなど、人事制度上の施策が有効です。