労働移動の円滑化に向けた議論が活発化しています。2023年5月も18回目となる政府の「新しい資本主義実現会議」が開催されました。今回も「三位一体の労働市場改革の指針(案)」を発表するにあたり、(1)リ・スキリングによる能力向上支援、(2)ジョブ型人事の導入、(3)労働移動の円滑化、という大きく3つのテーマで議論されました。とくに(3)労働移動の円滑化のなかでは、「退職金制度」も取り上げられ、論点案の一部として、以下2点に「見直しが必要になり得る」と示唆されました。

  1. 退職所得課税について、長期勤続者に対する優遇措置の縮小を検討する。現行の退職所得課税制度では、勤続20年を超えると、所得計算時の控除額が1年あたり40万円から70万円に増え、税負担が軽くなる。これが自らの選択による労働移動の円滑化を阻害しているという指摘。
  2. 一部企業で行われている自己都合退職の場合は退職金を減額する、勤続年数・年齢が一定基準以下であれば退職金を支給しない、といった労働慣行の見直しが必要、という指摘。

賛否両論があるでしょうが、とくに2.は、労働移動の円滑化を大きく阻害しているとは考えにくいのではないかと思います。
仮に転職を考えている人がいたとして、転職によるメリットが享受できるにもかかわらず、20年間も退職を我慢しようと思うでしょうか。退職金の支給まであと1年なら待とうとする人がいるかもしれませんが、ボトルネックとまでは考えにくいかと思います。
離職者が退職金制度に不満を持つ声は聞きますが、在職者が退職金を理由に転職を断念する、現職にとどまるといった声はあまり聞きません。
退職金制度はあくまで企業の独自施策であり、労働契約に含まれることから解除を申し出たのであれば一部の恩恵が受けれないのも当然という見方もできるかと思います。逆に会社都合退職であれば、自己都合退職よりも恩恵を多く与えることに合理性もあり、従業員側にも一定の理解があるのではないかと思います。
退職金制度は、もともと老後の生活を支える福利厚生という性格が強く、広く認識されていると思いますが、長期功労に対するインセンティブという性格もあります。最近では、勤続期間だけでなく職責や仕事の貢献度をポイント化して退職金を決定する方法が定着してきました。

また、日本では新卒採用が主流であり、各企業では若手を採用し、時間をかけて育成し戦力化するため、相応のコストをかけて取り組んでいます。できる限り長く勤務してもらえるように人事担当者は、職場環境を改善し、社内制度を改良するなど、日々尽力しています。人財難の時代では、人財を呼び寄せるだけでなく、定着させる施策も重要となります。優秀な人財の長期勤続を奨励するリテンション効果を損うと競争力が失われることにもつながりかねません。
海外ではLTIP(長期インセンティブ)を従業員向けに採用していますが、日本では退職金制度がその役割に近いと考えます。
長期勤務に対してインセンティブを与えることは人事人略上も重要なわけです。

従業員側は退職金をどう受け止めているでしょうか。
厚生労働省の「企業における退職給付制度に関する調査研究」アンケート調査結果で、「希望する退職給付制度は何か?」という項目を見ると、離・転職経験のない人は「長く勤めるほど役職が高くなり、毎年の増え方が大きくなる」制度を最も希望していることがわかります。一方、離・転職経験のある人は「転職先に資産を持ち運べる」ことを最も希望しています。ただ、2番目は離・転職経験のない人と同じく、「長く勤めるほど役職が高くなり、毎年の増え方が大きくなる」制度でした。従業員側も長期勤続を奨励することに対してポジティブな反応であることがわかります。

労働移動の円滑化は重要なテーマですが、企業が独自で設計している退職金制度の運用まで制限を加えると各社のリテンション施策の効果が薄れるため、慎重な議論が必要です。
この指針の内容は、2023年6月に改訂・決定される新しい資本主義の実行計画や骨太方針に反映されるようですが、バランスの取れた総合的な議論が行われることを期待したいと思います。